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なぜ、表現することはこんなにも難しいのか——アートセラピーの視点から考える表現へのバリア

  • Writer: Yasuno Yoshizawa
    Yasuno Yoshizawa
  • May 9
  • 7 min read

Updated: May 11

白い余白に、絵の具と筆がさりげなく並べられている静かな場面。表現することへの静かな問いかけを表す。

「もっと自由に表現できたら」と思ったことはありますか。


絵を描いてみたい。何か作ってみたい。でも、なんとなく手が止まってしまう。

うまくできないかもしれない。センスがないかもしれない。人に見せたら恥ずかしい。

気づけば、そんな声が頭の中に積み重なって、白紙のまま終わってしまう。

表現したい。その気持ちは確かにある。なのに、それを阻む何かが、同時に存在している。


そんな経験、あなただけではないと思います。


わたし自身も、アートセラピーを学ぶ大学院生だった頃、「自由に表現してください」という課題の前で、何度も手が止まりました。表現することを学ぶ場所にいながら、表現できない自分がいた。その経験が、ずっと心の中に残っています。


この記事では、なぜ表現することがこんなにも難しく感じるのか、その理由を一緒に考えてみたいと思います。


クリエイティビティは、誰の中にもある


そもそも、表現したいという気持ちはどこから来るのでしょうか。


心理学者のカール・ロジャーズは、人は誰しも、自分の内にあるものを広げ、育み、成熟させていこうとする力を持っていると言いました。自己実現への力、とも呼ばれるその働きは、クリエイティビティにも同じように宿っている、と彼は考えました。


つまり、「表現したい」というのは、特別な才能を持つ人だけに与えられた衝動ではなく、人間が本来持っている、ごく自然なニーズだということです。


グラハム・ワラスはクリエイティブなプロセスを四つの段階で説明しています。アイデアのヒントを見つける準備期、それをじっくり温める保温期、洞察が生まれる照明期、そしてそれが他者にも認められる承認期。このプロセスは、アーティストだけのものではありません。日常の中で何かを作り、感じ、伝えようとするすべての人に当てはまります。


では、なぜその自然なニーズが、こんなにも阻まれてしまうのでしょうか。


評価される場所では、表現は萎縮する


理由の一つは、外の環境にあります。


学校でも、職場でも、SNSでも、表現はしばしば評価の対象になります。上手か下手か。いいねがつくかどうか。人と比べてどうか。そういった視線の中では、表現することよりも、正解を出すことの方が優先されやすい。


HSPと呼ばれる、感受性の高い人たちは特にこの影響を受けやすいと感じています。豊かな感性がクリエイティブな方向に発揮される一方で、他者の評価や周囲の空気にも敏感に反応してしまう。表現したい気持ちと、傷つきたくない気持ちが、同時に存在している。


表現するためには、安全な場所が必要です。でも、そういう場所は思いのほか少ない。

「下手でもいい」「正解はない」「ただ作ってみる」そんな場所が、どれだけあるでしょうか。

本を壊せなかった、あの日のこと


大学院の授業で、アルタードブックという課題に取り組んだことがあります。

一冊の本を自由に切り刻んで、貼り付けて、塗り重ねて、自分だけの作品に変えていく。ナラティブセラピーに着想を得た、自己表現のワークです。家で作ってきたものを、みんなで持ち寄る形の課題でした。


教室に並んだ作品を見て、息をのみました。ページをびりびりと引き裂いて、ノリでぐしゃぐしゃに貼り付けて、もはや本の原形をとどめていない立体物になっているものがいくつもあった。


わたしの作品は、余白にちょこちょこっとイラストを描き入れただけのものでした。それだけでも、手を動かすたびにすごく緊張していたのを覚えています。


同じ課題に取り組んでいたのに、どうしてこんなにも違うのだろう。その差が、しばらく頭から離れませんでした。


ありのままを出すことへのブレーキ


振り返ってみると、そのブレーキの正体は、一つではありませんでした。


一つは、日本で育つ中で身につけた価値観。ものを大切にすること。はみ出さないこと。正しくあること。そういった感覚が、気づかないうちに深く染み込んでいた。


そしてもう一つは、その本そのものが持つ意味でした。


好きな本を選んで、それを再構築する、という課題でした。メタファーとして理解はできる。でも、自分が選んだその本は、自分にとって大切な意味を持つものでした。それを壊すことは、どうしても「壊すに値しない」という感覚と重なってしまった。

自由に表現してください、と言われても、「自由」の感覚そのものが、育ってきた環境や、自分が大切にしているものによって、全く違うのです。


これは、日本人だけの話ではありません。自己開示をよしとしない文化、感情を表に出すことへの抵抗、失敗を人に見せることへの恐れ。そういった内側のバリアは、文化や育ちによって形づくられ、表現することを静かに、でも確実に阻んでいきます。


そしてもう一つ、難しさがあります。


自分の中では深い意味を持つ表現であっても、それを受け取る側の価値観や文化的な土壌によっては、全く違う意味合いで受け取られてしまうことがある。送り手と受け手の間で、意味がズレてしまう構造上の問題です。


それを知っているからこそ、表現することへの躊躇は、さらに深くなっていくのかもしれません。


自分のアートセラピーを見つけるまで


大学院でアートセラピーを学んだ日々は、どの授業も刺激的で、興味深いものでした。

でも、その一方で、何かが違う、という感覚が、徐々に育っていったのも確かです。

お題を出して、制作させて、作品を分析する。そういったアプローチは、確かに体系的で、わかりやすい。でも、わたしの中では、どこかしっくりこないものが残っていました。


そんな中で出会ったのが、現象学的なアートセラピーでした。


実は、その出会いは、教科書からではありませんでした。


大学院の卒業試験の一つに、担当していたクライアントのケースプレゼンがありました。そのクライアントは、場面緘黙の小学生の子どもでした。

その子は、毎回、何も話さずにやってきました。静かな部屋で、ただ黙って、好きな絵を一枚描き上げて、帰っていく。それが繰り返されました。

わたしにできたのは、ただそこにいることでした。小さな動作への介助。出来上がった絵を、一緒に静かに眺めること。そこから見えてくるものを、少しずつ一緒に振り返ること。

でも、そのプロセスの中で、少しずつ、その子が本当に話したいこと、求めていることが、見えてきました。


言葉ではなく、絵を通して。分析ではなく、ただそこに一緒にいることを通して。

ケースプレゼンの準備をしながら、自分がその子とやっていたことを言葉にしようとしたとき、それに近いアプローチを探していたら、現象学に出会ったのです。


あのセッションで自然にやっていたことが、現象学的アプローチそのものだったのだと。

ちなみに、この子は、10ヶ月のセラピー期間を経て、話せる場所が少しずつ増えていきました。何かを強制したわけでも、分析したわけでもなく、ただ一緒にいることを通して。


表現は、本来、自分だけのものだった


アートセラピーに出会い、それを理解していくプロセスは、わたし自身にとって、自分とアートがどのような関係性に居心地の良さを感じるのかを、ゆっくりと探っていく経験でもありました。


その経験の中で、改めて気づいたことがあります。


本来、アートは、社会や周囲の評価に左右されない、自分だけのものであるはずです。上手か下手か、センスがあるかないか、人に認められるかどうか。そういったものとは、切り離されたところに、表現の本質があるはずです。


でも、今の世の中では、それがなかなか難しい。


外からの評価、文化的な価値観、受け取る側とのズレ。そういったものが、いつの間にか表現の中に入り込んで、「自分だけのもの」であるはずの感覚を、少しずつ遠ざけていく。


表現することが難しく感じるのは、あなたのせいではありません。外にも、内にも、バリアがある。そしてそのバリアに気づくことが、自分らしい表現への、最初の一歩になるのかもしれません。


自分とアートの間に、どんな関係性があるのか。それをゆっくり探っていける場所が、もっと増えてほしいと、わたしは思っています。ENSO KOGEN Studioも、そんな探求を一緒にしていける場所でありたいと思っています。


This article is written in Japanese. If you'd like to discuss these topics in English, feel free to reach out.

参照: Rogers, N. (1993). The creative connection: Expressive arts as healing. Science & Behavior Books.

日本語訳:ナタリー・ロジャーズ著『表現アートセラピー:創造性に開かれるプロセス』

Wallas, G. (1926). The art of thought. Harcourt Brace.

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